2012年8月26日日曜日

CITY HARVEST CHURCH



アジアで最も大きな教会の一つ「CITY HARVEST CHURCH」の週末礼拝に行ってきました。

私はフリーシンカーで、何の団体にも属していないのですが、
子供の頃に年に二、三回礼拝にいっていた思い出から、
久しぶりに礼拝に言ってみたいなあと思いました。

そんな話をクリスチャンの知り合いに話してみると「私の教会の礼拝に参加しなよ!」というので、参加することに。

知り合いの参加している教会はシンガポール最大の教会「CITY HARVEST CHURCH」
最近、幹部が14億円の資金を不正に流用した可能性がある と話題になっている教会でした。

・「シティー・ハーベスト・チャーチ」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81

・公式サイト
http://www.chc.org.sg/_eng/index.php 

・噂の記事
http://www.asiax.biz/news/2012/06/27-190041.php

いやはや凄い教会と礼拝でした。
事前にウェブでみて「コンサートか!!」とつっこんでいたくらいですが、
実際にいってみるとインドアスタジアムばりの印象でした←確実におおげさですがw

全体2時間半程度の流れはこんな感じ

・歌

・スピーチ

・献金

・牧師(ファウンダー)コン・ヒーさんの話

・歌

ちなみに歌の間は総立ちなので、元気な人じゃないとつらいだろうなと思いました。
(今回参加した土曜日の礼拝は若い人、日曜日は年配の人が中心に集まるということを後で聞きました)

できるだけ色んな考え方を寛容な精神で受け止めていきたいと思っていますが、
やはり宗教は私の考え方には合わないようです。

決して否定するつもりはありませんが、
何かを信仰すること、個人的に祈ったりすることはまだわかるのですが、それを集団で同じ場所に同じ時間に集まって行わなくてはいけない理由がいまいちわからないのです。
それに集まりを維持するためには献金が必然的に発生してしまいます。どうしてもその流れに不自然なものを感じてしまいます。

以前創価学会員の知り合いに話を聞いたときは「一人でのりこえられない壁が人生には存在している。それを乗り越えるために私たちは集まっているんだ」という話でした。
私にとって、その仲間は友達や家族であり、それで十分だと考えてしまうのです。

時に団体や組織は、人と人の壁をつくってしまうことがあります。
それが宗教であり、規模が大きければ大きいほど壁ができる確率はたかくなってしまいます。この問題が私の一番気になるところです。

家族や友達が少ない人が団体に所属することで、仲間をみつけられるかもしれないことはいいことだと思いますが、それによって他の人との一種壁のようなものができてしまわなければいいなと思います。

、、と、書いてはみたものの、よく考えたら二人ともそれぞれの教会に属しているものの、友達も沢山いるし、そんなことはないかなとも思ってみたり。
みんなが幸せなら、それでいいですね、はい。とかなんとか(自分の考え方を明文化しようとしてみても簡単に結論はでませんね)

さておき、今度はもっとトラディショナルで厳かな礼拝にいきたいなあ。
また教会を探してみよー

(追記)

NEW CREATION CHURCH
http://blog.goo.ne.jp/shige_hiyo/e/380139b0ca22ab89add6a33bc5a507eb
というのもなんだかCITY HARVEST CHURCH とスタイルが似ている感じが、、
こういう若者うけしそうなスタイルが流行っているのでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿